「生きることの意味」に触れた大学時代の恋愛

当時、18歳の大学生だった私は、同じ大学の2つ上の先輩Mくんと順調な交際を重ねていました。皆の前ではひょうきんだけど、実は真面目で優しく、柔道の強いMくんに憧れて私から交際を申し込みました。とりたてて特別な思い出は何もないけれど、ゆったりとした幸せな時間が2人の間に流れていたのを覚えています。高校のときは、部活に夢中で甘い思い出は何もなかったので、必ず大学で恋人作りをしようと思っていたのでとても、良かったです。
彼と付き合って半年ほどが経ったある日、私はいつも通り講義に出席するために大学へと向かいました。Mくんとは前日の夜から連絡をとっていませんでしたが、私自身、毎日メールをするようなタイプでもないので、大学で会えるだろうくらいに思っていました。そして、出席した2限の講義。Mくんと同い年の先輩から、彼がオートバイで事故にあったことを聞きました。一瞬、何も考えられなくなりました。先輩の話では、命に別状はない、「生きてはいる」と。
彼がその事故で脊椎を大きく損傷し、胸部から下が一切麻痺してしまったと分かったのは、それから1週間後でした。私には、一体皆が何を言っているのか分かりませんでした。「胸から下が麻痺ということは、つまり歩けないということであり、それはすなわち一生車椅子で生活するということで・・・」出口のない思考が私の中で渦を巻いていました。そして、一度病院にお見舞いに行った後、私はMくんから逃げました。無知で愚かだったけれども、携帯のメールアドレスも変え、Mくんの番号は着信拒否にしました。彼が退院して、大学に車椅子で復帰してからも、私は自分の中にわいた恐怖を払拭できずに逃げました。
彼の退院から10日ほどたった日、私が一人暮らしのアパートに戻ると、玄関のドアノブに小さな花束がかけてありました。私の部屋は2階です。学生用の安アパートにエレベーターなどありません。それでも、花束に添えられたカードの上の「ごめんね」の文字はMくんのものだと分かりました。自分が一番辛くて悲しくて悔しいだろうに、私を思って「ごめんね」と綴った彼を想って泣きました。彼は、辛くても悲しくても悔しくても、これから生きていかなくてはならない。生きることがそんなに残酷なことになりえるなんて、想像もしませんでした。けれども、そんな涙でさえも私の傲慢であるように思えてすぐにやめました。
今も大学時代の友人を通してMくんのうわさは私の元に届きます。不慮の事故で一時はあきらめなければならなかった弁護士になるという夢を、37歳になった今、再び追っているそうです。